長野県松本市。北アルプスを望む城下町にはブックカフェ「栞日(しおりび)」と、その向かいの銭湯「菊の湯」があります。今回、ナナイロでは街の「日常」を耕し続ける人として、栞日と菊の湯を営む、株式会社栞日役員の鮎沢日菜子さんに話を聞きました。2022年より栞日には、ナナイロが主催する対話アートの展示会場をご提供いただいています。展示された作品を媒介にして「地域における障がいとの自然な向き合い方」についてインタビューしました。大きな作品の「一部」としての展示ー 今回、栞日での展示について、最初の印象はいかがでしたか。鮎沢:去年の作品は、個人の方が書かれたそれぞれの作品だったと記憶していますが、今年は一つ大きな作品を飾ってらっしゃるんだなって。栞日でも一人の作家の作品を飾ったりとか、一点一点を飾るってことはよくあるんですけど、大きな作品の一部を栞日で見れるっていうのは、すごく新鮮だなと思いました。「どういう展示なんだろう?」と思ってお迎えしたっていうのが、最初の印象です。「これは作品の一体どの部分なんだろうか?」と思っていたのですが、設営の翌日に自転車が来て、「おお、そういう感じになるのか!」と感じでした。紹介の文章やQRコードで動画を見たところ、「あ、なるほど。市街でこういうふうに展開されてるんだ」であったり、作品を作った段階からもう展示が始まってたんだなみたいなことを感じて、すごく面白い作品だなと見させていただきました。来場者の「なぜ?」から始まる対話ー お客さんの反応はいかがですか。鮎沢:「なんで自転車があるんですか?」とか、「靴は忘れ物ですか?」というところから入る方が多いですね。「これは作品の一部なんです」とお話ししながら一緒に見ることもあります。「この展示を見に来ました」という方もいて、スタッフにとっても作品との接点を持つ機会になりました。アートや障がいへの距離感の違いー 立体作品という点で、きっと鑑賞のされ方もさまざまでしょうね。鮎沢:本当にいろいろです。外から覗いて文章を読んでいく方もいれば、中に入ってグッと近づいて見る方もいる。それ自体が、アートや障がいとの関わり方の「今」を表しているように感じます。アートに慣れている人は近づくし、「絵がアート」という感覚の人は、「これは何だろう?」と戸惑って帰られることもある。障がいのある方が関わっていると知って関心を持つ人もいれば、「そうなんだ」で終わる人もいる。その全部が、今の社会の距離感なんだと思います。「言葉」が呼び起こす記憶と現場のリアリティ鮎沢:マツモトアートセンターのモニターの周りに貼られていた「言葉」の展示が、特に印象に残っています。あの言葉を見て、「あ、こういう言葉の中で私は仕事をしていたな」と、福祉の現場での日々を強く思い出しました。利用者さんたちの独特な言い回しや、日常の中の何気ない言葉が、私の中で当時関わっていたあの人とあの人とあの人の顔が浮かぶ、みたいな感じになりました。生活のディテールが大切にされていて、あの「言葉の展示」がとても好きです。カフェという「公共的な場」が生む、多様な接点ー 栞日さんはカフェとして街の日常に溶け込んだ場所でありながら、ある意味では「公共財」に近い役割も担っていらっしゃるように感じます。そうした日常の場で、今回のような活動やアート展示に場所を提供することには、どのような意義やメリットがあるとお考えでしょうか。鮎沢:栞日では、プロのアーティストの作品も、街の方の手芸作品も、そして今回のような障がいのある方とアーティストが一緒につくる作品も展示します。普通のギャラリーだと、何かに偏りがちですが、ここではだいたい月替わりでいろんなものが入れ替わる。とても多様性のある場所だと思っています。カフェと書店の中にあることで、展示目当てじゃない方とも自然と接点が生まれる。それがすごくいいところだなと思っています。「力が活かされる社会」を求めてー 鮎沢さんは元々は福祉のお仕事をされていたとお聞きしています。鮎沢:前職は愛知県の福祉系NPOで、生活介護や訪問介護、移動支援などをしていました。公園のパトロール作業を一緒にしたり、イオンや映画、カラオケに出かけたり。ご家族の時間を取れるよう障がいのあるお子さんと一緒に外出する、という支援もしていました。ー Uターンで松本に戻ってきた時に、就職先の業界を変えたのはなぜでしょうか。鮎沢:高校生の頃から福祉に興味があったのですが、「一緒にいられる社会」というよりも、「その人たちの力が活かされる社会とは何だろう」と考えていました。福祉の現場で支援の対象になっている人たちは、とても興味深くて、魅力的で、私たちにはない力を持っているのに、街で暮らしていると、なかなか出会わない。そのことがずっと不思議だったんです。「こんなにすごい人たちと、なぜ日常の中で出会わないんだろうか」と思ったことが、福祉の道を志したきっかけでした。栞日は、本や文化を通して街の人たちとの接点をつくる場所ですが、向かいで銭湯「菊の湯」を運営していることが、私にとってはとても大きな意味がありました。銭湯という日常のインフラに宿る可能性ー 銭湯に注目したのはなぜだったんでしょうか。鮎沢:銭湯は、お年寄りの方たちが日常的に通う場所です。そうした方たちが、より元気に、より長く元気でいられるために、この場所で何ができるだろうか、と考えてきました。一方で、障がいのある方にとっては、銭湯はさまざまなバリアがあり、なかなか来づらい場所でもあります。だからこそ、「どうしたら、街の銭湯に、障がいのある方たちも自然に来られるようになるのか」ということが、今の大きなテーマです。銭湯という日常の場所を通して、誰もが関われる街のあり方を、実践の中で模索しています。栞日と菊の湯の「インクルーシブ」の試みー 多様な方をどのように受け入れていこうと考えてらっしゃいますか。鮎沢:まずは今来てくださる方たちに長く来続けてもらうことが大事です。最近では、行政と連携して、菊の湯で体操教室の取り組みを少しずつ始めました。一方で、これまで菊の湯に来られていない、障がいのある方たちとの接点をどうつくるかは、引き続き大きな課題です。現在、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者の方の絵を展示するというお話があり、いつか実現できたらと考えています。(2026年1月に実現)当たり前を問い直すきっかけをつくる鮎沢:「菊の湯の皆さんとアートをしてみたい」って思っています。菊の湯にも社会のバリアを感じていたり、直面しているという方が来ていらっしゃっていて。でも裸になって同じ空間に入ることで、一時的にバリアがほどける感覚はあると思います。一方で、段差や湯船をまたぐ構造、男女別といった制度的なバリアも同時に存在しています。バリアがあるようで、ないようで、やはりある。その曖昧さを抱えた場所だからこそ、菊の湯ならではのアートや表現が生まれるのではないかと感じています。「正義」と「やさしい公共性」ー アートを通して「当たり前」と思ってることを、「本当に当たり前なのかな」って考えるキッカケになればいいですよね。鮎沢:菊の湯のお客さんは皆さんとても良い方たちなのですが、ときどき「自分なりの正義」が前面に出る場面があります。常連さんだと、銭湯に慣れていない方のマナーに怒ってしまうことがあります。その正義が「みんなも同じはず」という形になってしまい、来慣れていない方や観光の方のマナーに対して、強く反応してしまう。「みんなこう思ってる。全員そう言ってた」みたいな感じで言ってしまうんですね。みんなが気持ちよく使うための一定のラインっていうのはあると思うけど、「お互い優しく関われたらな」って私は思うんですよね。「街にはいろんな人がいる」という共有鮎沢:自分の意見は大事だけれど、それがすべての人の感覚と同じとは限らない。銭湯という場所には、高齢の方、観光の方、さまざまな背景を持つ人が集まります。見方を変えれば、それぞれが何らかの「生きづらさ」やバリアを抱えているとも言える。だからこそ、絶対的な正義ではなく、いろいろな価値観があることを前提に、もう少し優しく関われる空気を、菊の湯という場で育てていけたらと思っています。「自分だけではない、いろいろな人がいるのが街だよね」と、自然に共有できる場所にしていきたい。そのことを、日々のやり取りの中で強く感じています。銭湯をハブにするケアの実践ー 菊の湯では、コミュニティナースも導入されていますよね。鮎沢:はい。番台にコミュニティナースがいて、「最近ここが痛くて」とか、「病院の先生の話がよく分からなくて」といった何気ない相談を受けています。健康の話だけじゃなく、「今度コンサートがあるから行ってみませんか?」と外に誘うこともあります。菊の湯には「ケアチーム」っていうのがあって、どんなふうに菊の湯っていう場所を使ってケアの取り組みを社内に伝播していけるかを、日々考えてトライしているところです。鮎沢日菜子あいざわ ひなこ社会福祉士。愛知県の福祉NPOを経て、長野県松本市へ。現在は株式会社栞日の役員として、銭湯「菊の湯」のケアチームを牽引し、コミュニティナースらと共に、街とケアの新しい関係性を模索している。栞日(しおりび)住所:〒390-0815 長野県松本市深志3-7-8URL:https://sioribi.jp/栞日は、長野県松本市にある、書店・カフェ・ギャラリーが一体となったカルチャースペース。独立出版を中心にセレクトされた本と、コーヒー、写真やアートの展示を通して、街の日常の中に文化との接点をつくっている。プロの作家から地域の表現までを受け入れる開かれた場として、松本のカルチャーシーンを支える拠点のひとつ。菊の湯(きくのゆ)住所:〒390-0815 長野県松本市深志3-7-8(栞日向かい)URL:https://sioribi.jp/ (菊の湯情報は栞日公式内)菊の湯は、松本市にある老舗銭湯で、2020年に栞日が運営を継承した地域の一般公衆浴場。地元の人々の憩いの場として親しまれながら、コミュニティナースの活動など、ケアの視点を取り入れた新しい銭湯のあり方を実践している。多世代が集う「街のハブ」として、入浴を超えた交流とケアの場となっている。Photo:Koichi Miyashita