対話を重ねる中で共鳴した瞬間
僕は、このコラボレーションの話をいただいたとき、なぜそれぞれの創作スタイルをもつ2人の作家が一緒に描くのか、実はあまりピンと来なかったんです。
イベント事としてただ一緒に描くというのにはあまり意義を感じないし、「対話アート」というからには、でき上がる作品と同様に、僕たちの対話も重要なものにならないといけない。
そのためにはまず、いろんなお話をしたいですね、ということになり、カミジョウさんとオンラインで近況報告会を重ねてきました。
そうやって絵や日常生活のことなどをざっくばらんに話す中で、僕たちが共鳴する瞬間がありました。
それは「サポートをお願いする人にもされる人にも生じるストレスがあって、両方が大変な思いをしている」という実感について本音を語り合ったときのこと。
2023年の秋頃に妹が鬱になり、僕の一人暮らしの家兼アトリエに連れて来て、一緒に住むことになった話をしたんです。自ら「サポートするから」と言って面倒を見ているものの、繰り返し鬱の人の話を聞くのはつらいと。
するとカミジョウさんも、サポートされる側にもつらさがある。サポートをお願いする立場として、周りの人との人間関係で大変なこともあるし、傷ついたこともある、という話をしてくれたんです。
立場を越えて「共通点がある」と互いに感じることができたんですよね。
こんなふうに気持ちを表現して、ぶつけ合って、作品を作ることができるんじゃないか。
それならやってみたい、と自然に思えるようになったんです。
「対話アート」を体験して弓指さんが感じたこと
カミジョウさんとは、初日のコラボレーションが直接の初対面。
どういう制作になるかわからなかったけど、変に合わせたりせず、それぞれがもつ作家としてのスタンスでキャンバスに向かっていきました。
でも、一緒に描きながら、ふと寄生虫の話になって、そのフォルムの美しさなどについて話が盛り上がったんです。「寄生虫好き」も僕たちの共通点だとわかり、それが、画面に一緒にアプローチしていくときの突破口になりました。
また、100号というサイズに対して、カミジョウさんが届かない場所もあるだろうというのは前もって話していたんですが、カミジョウさんが全面にわたって描くのとそうじゃないのとでは仕上がりが変わってくるし、それは役割を生むことにもなったなと、振り返って感じたんです。これも同じ場を共有したからわかることでした。
僕はなかなか松本に行けなくて、続きを描くまでに少し空いてしまったんですが、こういう経過を経てきたから、僕はカミジョウさんがその後描いてきたパートに合わせるような形で描ける、という思いがありました。
今回の対話アートで、作家も周りの人もチャレンジできたり気づけたり、自分の可能性が広がったりしたと思うんです。
カミジョウさんがおしゃべりしながら描いたのは初めてで、それってできるんだ!と体感したり、障がいのある人とどう接したらいいかわからないと感じていた人が、絵を通してお手伝いができることを知ったり。
そういう機会になったことがうれしいし、続けていくことの必要性も感じました。
最初のコラボレーション後、カミジョウさんが何度か通ってここまで描き込んだ。
作品を見た弓指さんは「何度も通った跡が見える。めちゃめちゃいい!」「回虫感も出てる」とコメント。
カミジョウさんは「ボランティアさんとしゃべりながら描いているところは、タッチが大胆になっているのがわかる」と振り返る。
コラボレーション中、アニサキスや線虫、回虫の魅力など、寄生虫愛を語り合った。
そして、寄生虫が作品に現われる。
カミジョウさんが描き進めてきたものを受け止めて、完成に向けて1人制作に集中する弓指さん。
1986年生まれ。東京都在住。母親の自死について描いた巨大な絵画《挽歌》(2016)を発表して以降、「自殺」「慰霊」をテーマに創作活動をしている。あるアイドルの自死をモチーフにした《Oの慰霊》で第21回岡本太郎現代芸術賞敏子賞受賞、ほか受賞多数。