【インタビュー:小林宏夢さん】わたしのココロが動くとき

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小林宏夢さんと星野光秀さん

2023年『第27回NHKハートネット展』※ に応募した詩『親子だから』が入選した小林宏夢さん。さまざまな場所で宏夢さんの 詩が展示され、多くの人を魅了しています。 宏夢さんが一番多く詩を書いていた中学生 当時の担任、星野光秀さんとの対談形式でお話を伺いました。

※障がいのある人が綴った詩を紹介する展覧会。

小林宏夢さん

中学生の頃から筆と墨で言葉や詩を書き始める。第20回長野県障がい者文化芸術祭文芸部門で、詩『ホタルとぼくと』が県知事賞を受賞。2023年3月に伊那養護学校高等部を卒業し、現在社会人1年目で意欲的に仕事に取り組んでいる。ドラえもんが大好き。

星野光秀さん

中学・高校で25年間英語教師を務めた後、諏訪養護学校に勤務。伊那養護学校に異動した年に、中等部に入学してきた小林宏夢さんと出会う。宏夢さんが卒業してからも、毎年一緒にドラえもんの映画を観に行っている。


詩が生まれるワケ

僕は宏夢くんが中学1年生の時に出会って、確か6、7月頃から詩をたくさん書き始めたのを覚えてるんだ。宏夢くんは、どんなときに詩を書いていたんだろう?

小学6年生で筆を持つようになって、半紙に「ドラえもん」って書いたら、字がちゃんと紙の中に収まったんです。そしたら、お母さんが「詩を書いてみる?」って言って

うんうん

周りから「ああしろ」「こうしろ」って言われると、僕は困ってしまうし、何か言いたくなる。それをずっと抑えて、耐えて生きてきたけど、「こういうことだってあるんだよ」っていう僕の気持ちを詩に書いたんです。

ははあ、なるほどー!!! そうだったのかあ …。

はい

一番最初に書いた詩は覚えてる?

覚えてない!(笑)


突き動かされるように、自分の気持ちを書いていた中学生の頃の作品。

高校生になると世の中のことや社会に対して思ったことを書くようになり 、その後 、家族の詩が増えていったそう 。

「 私たちが先回りしていろいろと言うのをやめて、宏夢本人に任せるようにしたら、詩を作る ことがなくなってきました。書かないの?と聞くと、書くことがないって。 ちょっと寂しいけれど、成長して “ 宏夢 ” という人が出来上がったとい うことなのかなって思います」とお母さんの洋子さん。

多いときは3日に1回くらいの頻度で詩を持ってきてくれてさ。でも、自分じゃ絶対読まないんだよね。だから僕が「それはそうかもしれないけれど ぼくにはぼくの考えがある・・・」って読んでね。宏夢くんはジッと僕の顔を見てて、プイッっとどこかに行っちゃうんだよ。墨で力強く書いてあったこの詩を読んだときは、鳥肌が立ったなあ。「がんばれ」っていうのも、つい僕が言っちゃってたんだろうなあ。ドキッとしちゃったよ。

ふふふ..

で、1学期の修了式のときに「わくわくドキドキしていたら・・・」っていう詩を持ってきてくれたの。うれしかったなあ。「まい日楽しくかよったら あっというまに夏休み」って。僕が宏夢くんから通知表をもらったなって感じたよ。

言葉に込めた大切な思い

宏夢くんの言葉にはリズムがあって、ゾクッとするときがある。この詩も思い出深いね。

お母さんと歩いていてできた詩。これ、みんなで歌ったね。

この詩にメロディーをつけてくれた人がいて、何回も歌ったね。宏夢くんは、家族のこともいっぱい詩に書いているよね

家族というのは支え合うので、僕の宝物。「やっぱり、家族っていいよね」っていうことを詩に書いてNHKに出したら入賞して、テレビに出ました。

そうだよね。入賞した詩はどんな内容だっけ?

僕が生まれたときのこと。

宏夢くんが好きな言葉は?

「笑う門には福来たる」。笑ったほうが絶対プラスだと思ってるから。

ちょうどここに「おかあさんがわらえるなら ぼくはそれでいいよ」っていう詩があるけど、これもそういうことなのかな? 笑うと福が来るよって。

はい、そうです。

今は何をしているときが一番楽しいの?

やっぱり、家にいてドラえもんとかゲゲゲの鬼太郎とか、アニメを見ているときです。

また、3月にドラえもんの新しい映画が来るね! 一緒に観に行こうね。

はい、一緒に。お願いします!

協力

コミュニティカフェ『ごーしゅ』

素材の安心、安全にこだわった居心地の良いカフェ。宏夢さんの詩もいくつか展示されている。

 〒399-4601 長野県上伊那郡箕輪町中箕輪11861

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